top of page
日本キリスト教会
西都教会

教会の歴史
![初代教会堂[1].jpg](https://static.wixstatic.com/media/e0e448_88e04ab6885040c9ac163acd54ea2ca8~mv2.jpg/v1/crop/x_5,y_0,w_2056,h_2932/fill/w_977,h_1394,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/%E5%88%9D%E4%BB%A3%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%A0%82%5B1%5D.jpg)
(旧)日本基督教会の京都伝道は、1890年、米国北長老教会ミッションとの協力のもと着手されました。伝道開始当初、京都における(旧)日本基督教会所属の教会は僅か室町教会(現在日本基督教団所属)一つを数えるのみでした。
その後、1905年、米国北長老教会の宣教師コルテスが着任し、早速、複数の講義所の開設を計画し着手し、その折に、下京区寺町通り松原下ル付近に家を借りて始められた講義所、それが、後に西都教会となる群れです。
間もなくコルテスは彼の地に転任され、その後、着任したのが米国北長老教会宣教師でありましたゴルボルトでした。
初代教会堂
同宣教師は着任早々、この生まれたばかりの群れを五条富小路角に移し、当時、室町教会の補助伝道者であった穂永実全を牧師として招き、この群れを五条伝道所として歩み出させてくださいました。そして、その3年後、1908年には五条伝道教会設立に至りました。その後、穂永牧師はゴルボルト宣教師の指導の下、新たに設立された四条伝道所に転任されたのでありました。
![2代目教会堂[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/e0e448_f49b330e774046cfa97ef29d6c88521f~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_735,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/2%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%A0%82%5B1%5D_JPG.jpg)
その後、植村正久牧師の斡旋により、東京神学社を卒業した中澤豊兵衛を牧師として招聘することができました。しかし、同牧師は僅か数ヶ月で信州上田に転任してしまい、その結果、再び無牧の状態が続くことになりました。再度の植村正久牧師の斡旋により、ようやく1914年4月、東京神学社を卒業したばかりの井田健司を牧師として迎えるはこびとなりました。その翌年、教会堂を立地条件の良い寺町通り松原上ルに移転し、その2年後、1917年に「教会堂を京都の何処に移転しても使える名称を」ということで「五条伝道教会」を「西都伝道教会」(東京に対して西の都という意味)と改称しました。